◎昭和阿呆航空(機内サービスは至福の時間)

旅行(travel)

列車に乗って全県庁所在地を制覇したと自慢していた私に、神の啓示がありました。
「国内旅行など年を取っても行く事が出来る、学生時代に行くなら海外だ!」
実際にはゼミの先輩に言われたのですが、国内旅行で満足していた私は衝撃を受けるとともに、海外旅行への憧れが高まりました。

そうなると若さゆえ、どうにも我慢が出来ません。
そもそも、私は旅行好きではありますが「鉄ちゃん」ではないので、鉄道に拘りはありません。
最初に旅への触発を受けた北杜夫の「ぼくのおじさん」でもその描写はハワイに向かう飛行機です。

しかし、海外旅行のハードルは高い!
当時は昭和60年代、時はバブルですが、海外旅行に関してはまだまだパック旅行が大半、リクルートのAB-ROADや格安航空券も世に出始めたばかりです。
子供の頃見たJTBの海外旅行パンフレットの金額の高さは脳裏に焼き付いています。
しかも、パック旅行はホテルの部屋がツインのため1人で参加すると、「1人部屋追加料金」がかかるので、先ずは人集めをしなければなりません。

しかし、神の啓示を聞いていたのは私だけではなく、海外旅行に触発されたゼミ仲間4人が集まり、ついに昭和阿呆航空の出発です。

行先は当然、ミーハー大好きハワイです。

確か7日間で15万円位だと思いましたが、一番ツアー代の安い時期に行ったのでホテルはワイキキのハイアットリージェンシーでした。
ハワイは到着日の晩、牛乳と生クリームを間違えて飲んでしまい、夜中に大変な事になってしまうなど散々でしたが、はじめて身近に感じるアメリカに圧倒され、たちまち海外旅行の虜になってしまいました。

生クリーム事件ですが、ワイキキのスーパーで1ℓパックの入りの生クリームを牛乳を間違って買ってしまい(見栄を張って一番高いのを買ったのが間違いの元でしたが、1ℓパックの入りの生クリームがあるなど考えもしませんでした)、これまた現地で買ったスミノフウォッカで割って飲んだのが原因です。
・・当時牛乳の焼酎割が流行っていたのですが・・

その後、バイトで小金を貯めては海外に出かけたのですが、そうする内に航空券のばら売りやエコノミーホテルの予約などが段々と出来るようになり、次第にまた気ままな1人旅をするようになりました。
しかし、現地では特に観光地巡りはせず、市場やスーパーなどを巡り、食事ももっぱらローカル食堂、殆ど国内鉄道旅行と変わりません。

激変したのは機内サービスです。
まずは海外便の場合大抵食事は2食出ます。
当時もあの航空会社の機内食は美味しくないだの、海外通ぶる話はありましたが、私にしてみれば温かい食事が出来るだけでも十分です。
しかも、日本発の食事は国内で製造されているため問題なく食べられます。
帰りの便の食事は癖のある味がままありますが、これこそ海外旅行です。

そしてお酒は飲み放題!
アメリカの航空会社の便では当時国内では250円したバドワイザーも、映画でしか見た事のないクアーズもみんな無料の飲み放題!
この時ばかりは、お酒に強い事を両親に感謝しました。

バーボンウイスキーのジンビームを注文したらジンライムが出てきて「バーボンて透明なんだ」と間違った感動をしたり、ウォッカの発音がスチュワーデスに通じず、しまいに彼女はミニチュアビンを引出しごと出してきて、どれだと言うので、ウォッカのビンを指すと、これは「バカ」と発音するんだよと教えてもらい、以後は「バカ、プリーズ」と注文するようになるなど機内の話題は尽きません。

しかし、私にとって海外旅行の一番の楽しみはやはり機内です。

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