◎運も実力の内(オリンピックを見て感じた高梨沙羅の遺書)

スポーツ(sport)

北京オリンピックが始まりました。

スポーツが大好きな妻は、新聞の番組欄にマーカーを付けて日々観戦していますが、私は、毎日観戦なんぞしていては、干上がってしまいますので、殆ど新聞観戦です。

昔は私も競技の結果に一喜一憂しメダルの数が少ない!と憤慨する事がありましたが、今では自分の子供と同じ世代が出ているため、「オリンピックに出られるだけで素晴らしい!メダルは単なるおまけだよ」という、当に「参加する事に意義がある」クーベルタン男爵の心境です。

心に余裕が出来たのか、ナショナリズムが薄れてきたのか、ここのところ素晴らしい技には、外国の選手であっても感心する次第。
若いころ外国選手のミスを祈った頃と比べると、ジジイになっての成長を感じます。

そんなオリンピックの前半戦で一番心に残ったのは、スキージャンプ女子高梨沙羅選手の失格事件です。

私としては、スーツサイズの規定違反は日本を狙い撃ちにしたものでなく、5人も失格になったのは異常なのですが、問題はなかったと思います。
視点を変えれば、それだけジャンプスーツには問題が有るということです。

私が、心に残った理由は失格の後高梨選手がSNSに投稿した文章です。

最初にこれを読んだ時(新聞に全文掲載されました)、高梨選手は自殺するのでは?と思った位です。
真っ先に浮かんだのは昔、教科書に載っていたオリンピックマラソンの銅メダリスト円谷幸吉選手の「遺書」です。

いや~すごい内容でした。
今回の失格、言い換えれば欠陥自動車を運転していて事故を起こしたようなものなので、運転手には罪はないはずです。
しかし、文章では日本がメダルを取れなかった責任は全て自分にあるという書き振りで、まるで殉教者です。
ここまで(金)メダルの期待と言う重荷を背負って戦っているのかと思うと、高梨選手は辛すぎます。

オリンピックは周知のとおり4年に一度です。
そこにピークを持っていければ良いのですが、年齢からくるピークはそうはいきません。
高梨選手は10代の頃から活躍しソチ、平昌、北京に出場したのですが、勝ちまくったのはソチの前後の
10代の時、20歳過ぎると圧倒的な強さは影を潜めますが、それでも21歳で出場した平昌では銅メダルを取っています。

申し訳ないですが、北京オリンピックで彼女がメダルを取る可能性はかなり低いと思いました。
そんな中で4位は立派だと思うのですが、高梨選手へのメダルの期待はそんなものではなかったのですね。
そして、混合ジャンプ団体戦の失格・・・ここまで鞭打たなくても良いと思うのですが?

そうでなくても、スキージャンプは気象条件に左右される競技です。
運も実力の内と言いますが、事オリンピックに関して高梨選手には運が無かった、と言うほかありません。

夏冬問わずオリンピックでは、成長による身体の変化が激しい10代の競技者が多い種目や、体力がものを言う種目は4年に一度の巡り合わせ・・・運は明暗を分けるようです。

しかし、これは実社会でも同様です。
自分のプランがいくら素晴らしくても、世の中の流れとマッチしなければ成功しません。
時代を先取りするとはよく言いますが、時代を先取りしすぎて失敗し、後発の者に果実を取られた事例は数々あります。

運や巡りあわせは意外とキーマンです。

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